自分をカタチづくるもの。

もちもち桜。。

私は結構生きてきた中で、環境の変化が多かった気がする。
周りを囲む人たちの人種…?も異なることが多かったし、私についての評価も共通するところもありましたが、場所によって全く異なることもあったりして。


自分自身を強くもつのって意外と難しい。どちらかというと私は、「自分はこうありたい!」って目標をもつことによって自分自身の言動をコントロールすることが多いような気がする。
善人ぶることもあるし、逆にものすごく過激になってしまうことも多々あり。(笑
両極端だけど、本質的にはとりあえずどちらかというと自己主張をしたがり、気まま〜に生きたい方かな。


ただどうしても気づくと周りの評価に合わせている自分がいる!!
あんまり人の言う事を真に受けない感じから、「キツク言っても堪えない」→「いじるにはもってこい!!」なキャラになることが多かったせいか*1どうもその期待に合わせてバカを演じることも多くなってました。


もともとかなりテンションも高いんで、絡んだり絡まれたりってのは好きなんです。
ただ、いけないことにそれにちょっと慣れてました。


そうなんです、人間なんでも楽なほうにいくんですよ。
だから、もし何かを知ってるように振舞うと、当たり前ですが周りは
私がそれを知っているものとして扱うわけです。
ですから自ずと知っていなくてはならないわけですし、周囲の期待以上モノを身に付けてないとガックリされちゃうわけです。
それは性格も同じ。優しいと思ってた人にキツイことを言われるとびっくりするし、
いつも笑ってる人間が不機嫌だと周囲は戸惑います。


だから、私の場合いつでもお気楽そうに振舞っている方が自分にとっても楽だったんです。
そうしてそっちに流れてしまってた。
自分の意見をきちんと伝えたりすることを怠っていたと思います。
先述のとおり、私は自己主張したがる性質です。ですが、ぼ〜っと振舞うほうが楽だったので『人に伝える努力』をしていない期間が長かった。
ですからたまに自分の考えなどを言うと、もしくは言える様な環境にいるとすごくキツイ言い方になっていたようです。
これはイカイカン。


そのくせ自分をちゃんと見せる努力もしていなかったから、いらぬ誤解を生んだりしてました。

  • 昔の自分?

しかし、最近、昔からの知り合いに触れる機会が多くて、ちょうど人格形成出来たかな??ってあたりの自分を思い出しました。
それは親であったり、高校時代の親友であったり。


昔の自分との対面は、ちょっとしたショックな出来事でした。
だって昔の、彼女や彼らが知っている私はもっと自分の評価に貪欲でした。
きちんと評価されたがってたし、ちょっと背伸びもしたがっていた。そして周りの期待に応えるような人間であろうともしていた。
いまは本当にそういう意味ではさぼっているような気がします。


一見、“等身大でいいんじゃないか”という気もしますが、これは私にとってはサボっていることになると思います。
だってこれ以上成長しなくてもいい、って思っちゃうかも。


無闇に背伸びすることはないけど、常に“良い状態の自分”をちょっとイメージしてそれに合わすくらいでちょうどいい。
関西人特有の“ボケ”は大好きで生活に必要ですが(笑)、本物のボケだと自分で言ってはいけない
自分だけは、自分のこと信じてあげなくちゃいけないのに、ああ、疎かにしていたなあー。


久しぶりにそれに気づかせてくれた大切な人々。ありがとうございます。
昔、そういった『私に対してきちんと期待してくれる』人たちに囲まれていることが
どんなに幸せかって日記に書いた事を思い出した。



仕事先で、お客さんの前で、そう思われようが評価されようが、
自分自身をきちんと立たせてあげる、そんな心がけを改めてきちっと持とうと思います。

*1:特に年上の多かったバイト先などで…